この記事はリクエストの記事です!この記事では、ヴェネツィアがどんな歴史で生まれた町なのか。どんな観光スポットがあるのかなどを知ることができます。ぜひ最後まで見ていってください!!
目次
ヴェネツィアの基礎情報
ヴェネツィアはアドリア海に面する人口26万人のイタリアの都市。ヴェネツィアは、都市全体が世界さんとなっており、イタリアの人気観光地として栄えてます。
ヴェネツィアの歴史
古代
紀元前452年、フン族の侵攻を避けるために、ウェネティ人はラグーナに移住し、ヴェネツィアの基礎を築きました。
紀元5世紀、ヴェネツィアは、ビザンツ帝国の支配下に入りました。ビザンツ帝国の支配下で、ヴェネツィアは、海上貿易で発展しました。
中世
10世紀、ヴェネツィアは、自治都市として成立しました。ヴェネツィアは、地中海貿易の中心地として栄えました。
12世紀、ヴェネツィアは、十字軍に参加し、東地中海に進出しました。ヴェネツィアは、東地中海で多くの領土を獲得し、海上貿易の覇権を握りました。
近世
14世紀、ヴェネツィアは、ルネサンスの中心地となりました。ヴェネツィアは、芸術や文化の面でも、大きな発展を遂げました。
16世紀、ヴェネツィアは、オスマン帝国の台頭に対抗するために、スペインと結びつきました。
近代
18世紀、ヴェネツィアは、オーストリア帝国の支配下に入りました。オーストリア帝国の支配下で、ヴェネツィアは、経済的衰退に陥りました。
19世紀、ヴェネツィアは、イタリア統一運動の中心地となりました。
1866年、ヴェネツィアは、イタリア王国に併合されました。
現代
19世紀以降、ヴェネツィアは、観光地として発展してきました。ヴェネツィアの美しい景観は、世界中から多くの観光客を魅了しています。
君主論で有名なマキャベリもヴェネツィア王国の人ですよね。
ヴェネツィアの観光スポット
サン・マルコ寺院
サン・マルコ寺院は、守護聖人(カトリック教会における聖人崇拝)サン・マルコの遺体を祀るために建築された大聖堂。ビザンチン建築を代表する建物で、いたるところに豪華な装飾が施されています。中でも2000個近くの宝石を散りばめた黄金の衝立「パラ・ドーロ」は大きな見所です!2階のバルコニーからは、サン・マルコ広場の様子を一望することができます。
サン・マルコ広場
サン・マルコ広場はヴェネチアのシンボルになっている広場です!サン・マルコ寺院やドゥカーレ宮殿、コッレール博物館、ベネチア最古のカフェであるカフェ・フローリアンなどヴェネツィアを代表する観光スポットに面し、旅行者からはベネチア観光の拠点の地として親しまれています。サンマルコ広場は世界一美しい広場と言われています。
ドゥカーレ宮殿
ドゥカーレ宮殿は元々、ヴェネツィア共和国の総監督兼政庁であった建築物です。現在は美術館として利用され、有名なヴェネツィア映画祭の会場にもなっています。黄金の階段やライオンの口など様々な見所があります!
カナル・グランデ
「水の都」と称されるヴェネツィアにはたくさんの水路があります。その中でもカナル・グランデは象徴とも言える大運河で、市内を二分するように流れています。カナル・グランデにはリアルト橋、スカルツィ橋、アッカデーミア橋、ローマ広場歩道橋の4つの橋がかかり、そのどれもが人気の撮影スポットに。ゴンドラや水上バスに乗りカナル・グランデから街並を楽しむのも、定番のプランとなっています!
サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
ヴェネツィアの中心地から水上バスで約10分の一にあるサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会は、その名の由来にもなっているサン・ジョルジョ・マッジョーレ島に位置します。13世紀に地震によって崩壊してしまいましたが、天才建築家パッラーディオの設計により、現在のルネサンス様式の建物に生まれ変わりました。紅の豚みたい♡
ためいき橋
ためいき橋は、ドゥカーレ宮殿の尋問室と牢獄を繋ぐ橋です。その当時、橋を渡った先に待っていたのは過酷な牢獄生活。罪人たちは、最後にみるヴェネツィアの美しい景色に思いを巡らせ、ため息を漏らしたと言います。橋の下を通る水路はゴンドラの定番コースとなっており、日没に橋の下でキスをしたカップルは、永遠の愛が約束されるという言い伝えがあります。ロマンチック~。
ブラーノ島
ブラーノ島の街はめっちゃカラフル!赤、黄、青、ピンク、グリーンといった家々が密集しています。まるで絵本の世界!こんな街並になったのは、漁師たちが霧の中でもすぐに自宅を発見できるよう、家をペイントしたのがきっかけなのだそうです。かわいい!
まとめ
ヴェネツィアは超きれいな街ですね!イタリアに行く予定のある方ははぜひ訪れてみてください!このブログでは世界の国や都市を紹介するのでぜひ他の記事も見てみてください!!