今日はキューバを紹介するよ!
キューバかー。あんまり詳しくわからないなあ。
そっかー。じゃあこの記事で覚えていってね!
はい、、、
目次
キューバの基礎情報
首都 | ハバナ |
人口 | 約1100万人 |
通貨 | キューバペソ |
言語 | スペイン語 |
キューバの歴史
先史時代
キューバには紀元前5000年頃から人が住んでいたとされています。最初の住民は狩猟採集民でその後、農耕社会へと発展したそうです。
スペイン植民地時代 (1509-1898)
1509年、スペインの探検家ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャルがキューバを征服しました。
スペイン人はキューバで砂糖黍やタバコなどのプランテーションを経営し、多くのアフリカ人を奴隷として連れてきました。
スペイン植民地時代、キューバは経済的に繁栄したが、社会的には不平等でした。
独立戦争 (1895-1898)
19世紀後半、キューバではスペインからの独立運動が盛んになりました。
1895年、ホセ・マルティ率いるキューバ独立軍がスペイン軍に対して反乱を起こしました。
アメリカ合衆国がスペインに介入し、キューバはスペインから独立しました。
アメリカと独裁政権(1898-1959)
アメリカはキューバに介入し、キューバを事実上の保護国としました。また、アメリカはキューバ経済も支配しました。
1933年から1959年まで、フルヘンシオ・バティスタが親米の独裁政権を作りました。バティスタ政権は腐敗と暴力で知られていました。
キューバ革命 (1959)
1959年、フィデル・カストロ率いるキューバ革命軍がバティスタ政権を倒しました。
キューバ革命は社会主義革命であり、キューバは社会主義国となりました。
アメリカはキューバを敵視し、経済制裁を科しました。
ソ連との関係 (1959-1991)
ソ連はキューバに経済援助を行い、キューバはソ連の軍事同盟国となった。
1962年にはキューバミサイル危機が発生し、世界は核戦争の瀬戸際に立たされました。
ソ連崩壊後のキューバ (1991-現在)
1991年、ソ連が崩壊すると、キューバ経済は大きな打撃を受けました。
1990年代以降、キューバは経済改革を進めています。
2014年、アメリカとキューバは国交正常化に向けた交渉をはじめ、2015年、両国の国交を回復しました。
キューバの経済
キューバのGDPは60位でほかのカリブ諸国と同じくらいの経済規模を誇ります。主な産業はは観光業、農業(砂糖、タバコ)、鉱業です。社会主義国のキューバはアメリカから経済性差しを受けていて深刻な物資不足、インフラの老朽化などが深刻なそうです。
キューバの観光地
ハバナ旧市街
オールド・ハバナと呼ばれるハバナ旧市街は、6世紀にスペイン人によってつくられた都市で、周辺の要塞とともに世界遺産に登録されています。旧市街には、スペインのバロック様式やアメリカのモダニズム建築など、時代にあわせて様々な建築物が建てられた名残を感じられる街。カラフルな建物が並んでおり、街を散歩をしているだけでも楽しめます!
マレコン通り
画像引用 STW
マレコン通りは、クラシックカーが行き来するハバナの有名な通り。マレコン通りはハバナ湾沿いに約8キロメートルあり、海岸沿いの遊歩道を散歩する人や音楽を演奏する人、釣りをする人、カリブ海の青い海とスペイン風の建物の間をクラシックカーでドライブをする人など、様々な楽しみ方をする人がいるようです。
革命広場
革命広場は、1953〜1959年に起こったキューバ革命の象徴的な場所です。壁には革命の中心人物であるチェゲバラが描かれています。この広場には、ホセ・マルティ記念博物館や政府機関の建物があり、キューバの歴史を感じることができるそうです。トロピコ5っていうゲームと雰囲気が似ててけっこう好きです。
バラデロビーチ
画像引用 エクスペディア
バラデロビーチはハバナ市街地からタクシーで約2時間ほどに位置しているビーチ。バラデロビーチの特徴は、海の透明さ。コバルトブルーの水面と真っ白な砂浜が一面に広がっており、波も穏やかなのでゆったりと海水浴を楽しむことができます!
トリニダード
画像引用 スカイチケット
トリニダードは、首都ハバナから車で約4時間半のところに位置する世界遺産の街。トリニダーは、かつて砂糖の取引で栄えた町で、スペイン植民地時代の様子がそのまま残されています。歴史的な建築物や博物館など、見どころが満載です!
日本からのアクセス
新千歳ーバハマ
まとめ
キューバには異国情緒ある街並み、人懐こい人々、美しいビーチや山など素晴らしいところがたくさんあります。しかし、アメリカからの経済制裁による経済の遅れなどのもんだいもある国です。まあ、とにかく行ってみて下さい!
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