クメールルージュが行った最悪の政策5選【カンボジア虐殺】

今日はクメールルージュ(ポルポト政権)が行った最悪の政策について紹介します。カンボジアではほかの国で見られたことのない原始共産制とよばれる思想の元政治が行われました。そしてそのリーダーポルポトによってたくさんの人が殺害されてしまったのです。今回はそんなクメールルージュを紹介するのでぜひ最後まで見ていってください!

目次

クメールルージュの歴史

ポルポト

第二次世界大戦後、フランスからの独立を勝ち取ったカンボジアは、不安定な政治情勢に揺られていました。都市部と農村部の格差、腐敗した政府への不満、そしてベトナム戦争の泥沼化といった状況が、人々の間に強い不満を生み出しました。そんな中、1960年代に、パリで学んでいたカンボジアの知識人たちが、カンボジアの現状を変えようと共産主義運動を始めました。その中心人物の一人が、後のクメール・ルージュの指導者となるポル・ポトでした。彼らは農民を革命の主体とし、都市を破壊し、伝統的なカンボジア社会を根底から覆すという極端な思想を掲げました。1970年、親米のロン・ノル将軍がクーデターを起こし、シハヌーク親王(もともといた王様)を亡命させると、クメール・ルージュはこれを機に本格的なゲリラ戦を開始します。彼らは農村部で勢力を拡大し、次第にロン・ノルの軍を追い詰めていきます。1975年、ついにプノンペンを占領し、民主カンプチアと名乗る共産主義政権を樹立させました。クメールルージュによる政治は四年間続きその中で国民の4分の1にあたる170万人以上が殺害されました。クメール・ルージュ政権は、国際社会の非難とベトナムの軍事介入によって1979年に崩壊しました。

クメールルージュが行った政策5選

通貨の廃止

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クメールルージュの思想は簡単に言えば「縄文時代に戻ろう。そしたら平等になれる。」というもの。クメールルージュではあらゆる私有財産を否定しました。その一環として、通貨であるリエルの使用が禁止され銀行は破壊されました。人々の生活は、一転して物々交換の時代へと突入したのです。通貨がなくなったことで、経済活動は停滞し、物資の流通もままならなくなりました。市場は消滅し、人々は食料を得るために必死の努力を強いられました。この状況は、カンボジアの人々を飢餓と貧困の淵に突き落とし、多くの命を奪いました。クメールルージュによってリエルの信用は下がってしまい現代でもカンボジアではリエルとともに米ドルが通貨として使われています。

都市から農村への強制移住

高層ビルのある都市の航空写真
現在のプノンペン

クメール・ルージュ政権下でカンボジアの人々が経験した強制移住は、現代史において最も悲惨な出来事の一つに数えられます。1975年、クメール・ルージュが首都プノンペンを占領すると、都市部に住む人々を農村へと強制的に移住させる政策が開始されました。強制移住は、人々にとって想像を絶する苦難をもたらしました。都市から遠く離れたジャングルの奥地や湿地帯へと集団で移動させられ、食料や物資は極端に不足。劣悪な環境の中で過酷な労働を強いられ、多くの命が失われました。病気や栄養失調、そして過労が人々を蝕み、子どもたちを含む多くの犠牲者が出ました。また移動の途中で障害のある人、高齢者などは置いていかれ多くの死者が出ました。数日にして東洋のパリともいわれたプノンペンはゴーストタウンとなったのです。

国内での地雷の設置

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画像は朝鮮の非武装地帯

クメール・ルージュ政権下での地雷設置は、カンボジアに深い傷跡を残す悲劇的な出来事でした。ベトナム戦争中のアメリカ軍による爆撃、そして内戦が長期化する中で地雷は大量に生産・設置され、国土の広範囲に渡って埋められました。地雷は敵の侵入を拒むべくカンボジアの国境沿いに大量におかれました。これらの地雷はカンボジア内戦後も経済成長を阻害する要因となりました。現在は国際NGOの支援で徐々に撤去が進んでいます。

知識人の殺害

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トゥールスレン虐殺博物館

カンボジアは縄文時代に戻るため、権力の保持のために「知識人」と呼ばれる人が拷問ののち殺害されました。この知識人には先生、学者、僧侶、文字が読めるもの、時計が読めるもの、眼鏡をかけているものなどが含まれていました。プノンペンにあるトゥールスレン虐殺博物館に行くと実際に使用された拷問器具や処刑の道具、遺骨などを見ることができるそうです。またクメールルージュは物資不足に苦しんでいたので処刑には銃ではなく斧やなたなどの鈍器がつかわれたといいます。これらの虐殺によってカンボジアの国民の4人に一人が殺害されてしまいました。これは人口ピラミッドにもわかりやすくあらわれているので気になった子方はぜひ見てください。

子供への洗脳と利用

ファイル:Khmer rouge clothing.jpg
クメールルージュの人民服、クロマーという布がつかわれる

クメールルージュでは多くの子供が少年兵として招集されました。少年兵となった子どもたちは、まず洗脳に近い思想教育を受けました。ポル・ポト政権のイデオロギーを叩き込まれ、自分たちの行動が革命に貢献していると信じ込まされました。しかし、現実は残酷でした。彼らは、銃の扱いを教えられ、時には殺戮も強いられました。↑に書いてある虐殺にも少年兵は使われました。

まとめ

アンコールワットで有名なカンボジアにこんなに恐ろしい歴史があるとは思いませんでした。このようなことが再び起きないように願います。このブログでは世界の国や都市を中学生が紹介するのでぜひ他の記事も見ていってください!

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