今日はソ連の歴史を指導者ごとに分けて紹介します。ソ連めちゃくちゃ面白いので最後まで見ていってください!
目次
ソ連の基礎情報
首都 | モスクワ |
人口 | 2億8673万人(1989年ソ連国勢調査) |
通貨 | ルーブル |
言語 | ロシア語 |
ソ連の歴史
ロシア革命とソ連誕生
1894年、ロシア最後の皇帝(ツァーリ)ニコライ二世が即位する
専制政治への不満、劣悪な労働環境、経済格差の拡大、第一次世界大戦の敗戦により革命の機運が高まる
1917年にサンクトペテルブルクで二月革命がおこりニコライ二世が退位し臨時政府が樹立される
臨時政府の混乱に乗じて、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキが蜂起し十月革命がおこる。
10月革命によって世界初の社会主義国、ソビエト社会主義共和国連邦が誕生する。
レーニン時代
1919年、コミンテルン(世界で革命起きてほしいなー的な組織)が創設される。
1921年新経済政策、NEP(資本主義を取り入れながら社会主義を目指すぜ)が導入され、一定の成果を上げる
1924年、レーニンが死亡し後継者争い(トロツキーが有力だった)が起きるもヨシフ・スターリンが指導者になる。
スターリン時代(1924年 – 1953年)
スターリンは五カ年計画(農産物を売って得たお金で工業化)によって急速な工業化を進める
五か年計画によりソ連は工業化するもウクライナでは飢餓(ホロドモール)が発生し400万から600万人が餓死する
人間不信のスターリンは最大で700万人以上を粛清したといわれているが、人数は論争となっている。
第二次世界大戦が勃発しソ連はドイツと独ソ不可侵条約を結ぶが、1941年にドイツに侵攻される
ドイツ軍はモスクワやレニングラード(サンクトペテルブルク)の門前まで迫るもソ連は追い返す
ソ連は1450万人の犠牲を出しながらドイツに勝利し東ドイツ、東ヨーロッパが共産化した。
1953年、スターリンがなくなりニキータ・フルシチョフが次の指導者となる
フルシチョフ時代(1953年 – 1964年)
フルシチョフはスターリン時代の恐怖政治を批判し、政治犯の釈放や言論の自由化などの改革を進める
1960年代からソ連の住宅不足を改善するためフルシチョフカという画一的で無機質な集合住宅が建てられる
世界初の人工衛星、スプートニク1号が1957年打ち上げられ、アメリカを震撼(スプートニクショック)させる
1961年、ユーリ・ガガーリンが宇宙船ボストークに乗り世界初の有人宇宙飛行が行われ成功する
1962年、キューバ危機が起こりソ連とアメリカが核戦争の瀬戸際に立たされる
1964年、農業政策の失敗などから解任されレオニード・ブレジネフが次の指導者となる
ブレジネフ時代(1964年 – 1982年)
ブレジネフの時代は停滞の時代と呼ばれており、経済は停滞しソ連の活力も下がった
社会主義国であった東欧のチェコで政治的、経済的に自由化する運動(プラハの春)が起こりソ連が侵攻する
アフガニスタン侵攻が1978年から始まったが泥沼化してしまい、国際社会でさらに孤立してしまう
1982年にブレジネフが死亡し、次にユーリ・アンドロポフやコンスタンティン・チェルネンコが指導者となるも、すぐ死ぬ
1988年、ミハイル・ゴルバチョフがソ連の指導者となる
ゴルバチョフ時代(1982年 – 1991年)
1986年、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で事故が発生し放射線がヨーロッパにまき散らされる
ゴルバチョフは深刻な経済停滞や政治腐敗に対し、ペレストロイカ(市場経済導入や情報公開)を行う
ゴルバチョフはソ連を構成する国の権限を拡大するもソ連の力が弱まってしまう
ソ連の力が弱まり東欧の国々が共産主義をやめ、民主化する(東欧革命)
ソ連崩壊(1991年)
1991年ゴルバチョフに対しクーデターが発生(ソ連8月クーデター)するもボリス・エリツィンや市民の抵抗により失敗する
ゴルバチョフはクーデターにより影響力を失い1991年大統領を辞職した
東欧諸国で反共産主義の民主化革命(東欧革命)が起こり、さらにいくつかの共和国がソ連から脱退
ソ連は1991年12月26日に完全に崩壊、ロシア連邦が生まれボリス・エリツィンが大統領となる
まとめ
ソ連はロマンあふれる面白い国だと思います。それにしてもスターリンの恐怖政治、こわいですね。このブログでは世界の国や都市を中学生が紹介するのでぜひ他の記事も見てみてください!
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