ロシアの皇帝を紹介します!

今日はロシアの歴代指導者をロシア帝国初代皇帝から紹介します。それぞれの指導者が行ったことなども紹介するのでぜひ最後まで見ていってください!※蛍光が黄色はロシア帝国、緑は臨時政府、赤はソ連、青はロシア連邦の指導者です。

目次

ロシア帝国の基礎情報

ファイル:Map of the Russian Empire at its height in 1866.svg
ロシア帝国の最大判図

ロシア帝国は、1721年から1917年まで存在した帝国です。ロシア帝国は現在のロシア連邦を始め、フィンランド、ベラルーシ、バルト三国、ウクライナ、ポーランド、コーカサス、中央アジア、外満洲などのユーラシア大陸の北部を広く支配していました。1897年に唯一行われた国勢調査によるとロシア帝国の人口は約1億2500万人だそうです。

ピョートル1世

1672年~1725年

ピョートル1世はロシア帝国最初の皇帝でロシアの西洋化政策を積極的に推進し、政治、経済、文化、軍事など様々な分野で改革を断行しました。北方戦争でスウェーデンに勝利しバルト海を獲得、新首都サンクトペテルブルクを建設しました。ピョートル1世はピョートル大帝とも呼ばれておりプーチン大統領が尊敬数皇帝なんだそうです。

エカチェリーナ1世

undefined

1684年~1727年

エカチェリーナ1世は、エストニアのリヴァのリトアニア系ポーランド人の貧しい家庭にマルタ・スカヴロンスカヤとして生まれました。幼少期は厳しい生活を送りましたが、美貌と機知に恵まれ、1703年にロシア軍に捕らえられた際に、騎兵隊長のピョートル・アプレクシンと知り合いました。

ピョートル2世

undefined

1727年~1730年

ピョートル2世はわずっか11歳という幼さで即位したものの14歳で天然痘で亡くなってしまった皇帝です。そのため治世について評価するのは難しい皇帝だそうです。

アンナ

undefined

1730年~1740年

アンナ・イヴァノヴナは、1730年から1740年までロシアを統治したロマノフ朝4代目の皇帝です。彼女はピョートル1世の兄であるイヴァン5世と、その妻プラスコヴィヤ・サルトゥイコヴァの娘として生まれました。アンナはドイツ人の顧問を重用し、ロシアの貴族たちを疎外しました。

イヴァン6世

undefined

1741年~1741年

わずか17ヶ月間、なんと生後二か月で皇帝に即位し1740年から1741年までロシア皇帝を務めた人物です。イヴァン6世はエリザヴェータ・ペトロヴナ女帝のクーデターによって廃位され、生涯の大半を幽閉されて過ごしました。イヴァン6世は1764年、23歳の時にサンクトペテルブルクのシュリッセリブルク要塞監獄で獄死しました。

エリザヴェータ

undefined

1741年~1762年

エリザヴェータ・ペトロヴナは、1741年から1762年までロシアを統治したロマノフ朝6代目の皇帝です。ピョートル1世の娘として生まれ、幼い頃から帝位継承者候補として育てられました。1741年、エリザヴェータは近衛兵の支持を得てクーデターを起こし、幼帝イヴァン6世から帝位を奪取しました。エリザヴェータが皇帝に即位していた時代、ロシア帝国は大きく経済成長をしました。また、芸術や学問の支援にも力を入れてロシア文化の黄金時代を築き上げました。

ピョートル3世

undefined

1762年

ピョートル3世は、プロイセンに友好的で女帝エリザヴェータのもと七年戦争で戦っていたロシア軍を撤退させました。即位からわずか6ヶ月後の1762年7月、ピョートル3世は妻のエカチェリーナ2世を中心としたクーデターによって廃位され、暗殺されました。

エカチェリーナ2世

undefined

エカチェリーナ2世は、1729年、北ドイツの貴族の家にゾフィー・アウグスタ・フレデリカとして生まれました。14歳でロシア皇太子ピョートル3世の妃候補としてロシアへ渡り、エカチェリーナと改名しました。夫ピョートル3世の即位後、その無能さと専制政治に失望したエカチェリーナは、近衛兵や貴族たちの支持を得てクーデターを起こし、1762年に皇帝に即位しました。エカチェリーナ2世は、啓蒙思想に影響を受け、法治国家の建設や教育制度の改革、農奴解放政策など、様々な改革を行いました。また、積極的に芸術や文化を振興し、サンクトペテルブルクをヨーロッパ文化の中心地として発展させました。

パーヴェル1世

undefined

1796年~1801年

パーヴェル1世は、1754年10月1日にサンクトペテルブルクで生まれました。母はロシア皇帝エカチェリーナ2世、父はピョートル3世です。しかし、パーヴェルは幼い頃から母に疎まれ続けました。1796年、エカチェリーナ2世が死去すると、パーヴェル1世は42歳で皇帝に即位しました。

アレクサンドル1世

undefined

アレクサンドル1世は1777年12月23日、ロシア皇帝パーヴェル1世と皇后マリア・フョードロヴナの第1皇子として生まれました。幼少期から英才教育を受け、祖母エカテリーナ2世の寵愛を受けながら育ちました。1803年、ヨーロッパの覇権を握ろうとするナポレオン率いるフランスが侵略戦争を始めると、ロシアも参戦します。1812年、ナポレオンがロシア侵攻を開始すると、焦土戦術を用いてフランス軍を疲弊させ、撤退に追い込みました。1813年、ライプツィヒの戦いでフランス軍は決定的な敗北をしフランスは劣勢となっていきました。1814年、ナポレオンが退位し、ウィーン会議が開催されました。アレクサンドル1世はヨーロッパの安定化を目的とした神聖同盟を結成し、ヨーロッパの盟主としての地位を確立しました。

ニコライ1世

undefined

1825年~1855年

ニコライ1世は、皇帝パーヴェル1世と皇后マリア・フョードロヴナの三男として生まれました。彼は軍人として教育を受け、1825年に兄のアレクサンドル1世が亡くなった後、皇帝に即位しました。1853年、ニコライ1世はオスマン帝国に対してクリミア戦争を仕掛 けました。しかしオスマン帝国はイギリス、フランスと連合を組んだためロシアは敗北し、ニコライ1世は戦争中にサンクトペテルブルクで亡くなりました。

アレクサンドル2世

undefined

1855年~1881年

アレクサンドル2世は、1855年から1881年までロシアを統治したロマノフ朝第12代皇帝。「解放皇帝」の異名を持ち、農奴解放令をはじめとする様々な改革を行い、ロシア社会の近代化に大きく貢献しました。しかしアレクサンドル2世はサンクトペテルブルクで「人民の意思」という反体制派のテロ組織に暗殺されてしまいました。

アレクサンドル3世

undefined

1881年~1894年

アレクサンドル3世は、1881年から1894年までロシア帝国を統治した皇帝です。アレクサンドル3世の治世は、反テロリズム政策、経済改革、鉄道網の拡張などが特徴です。彼はまた凡スラブ主義を推進し、ロシアの影響力をバルカン半島に拡大しようとしました。アレクサンドル3世は、保守的で専制的な君主として知られています。

ニコライ2

undefined

1894年~1914年

ニコライ二世は、ロシア帝国最後の皇帝であり、ロマノフ朝14代目の皇帝でもあります。1868年に生まれ、1894年から1917年まで帝位に就きました。ニコライ二世は日露戦争、第一次世界大戦に敗北したり経済の失策を繰り返したことから無能な君主として知られ最終的にはロシア革命によって処刑されてしまいました。

このブログでは世界の国や都市を紹介するのでぜひ他の記事も見てみてください!

ロシア帝国ってどんな国?歴史・経済・皇帝などを紹介します!【世界史】 ドイツ帝国ってどんな国?歴史・経済・軍隊を紹介します!【世界史】 ロシアの都市人口ランキングTOP10【2024年】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA