今日はロシア帝国について歴史・経済・軍隊などを紹介します!ぜひ最後まで見ていってください!
目次
ロシア帝国の基礎情報
ロシア帝国は、1721年から1917年まで存在した帝国です。ロシア帝国は現在のロシア連邦を始め、フィンランド、ベラルーシ、バルト三国、ウクライナ、ポーランド、コーカサス、中央アジア、外満洲などのユーラシア大陸の北部を広く支配していました。1897年に唯一行われた国勢調査によるとロシア帝国の人口は約1億2500万人だそうです。
ロシア帝国の歴史
モスクワ大公国ーロマノフ朝の成立
13世紀:モンゴル帝国の支配下にあったルーシ諸公国の中で、モスクワ公国が台頭する
15世紀:イヴァン3世が周辺の公国を統合し、モスクワ大公国を成立させる
16世紀:イヴァン4世(雷帝とも呼ばれる)が専制君主制を確立し、「全ロシアのツァーリ(皇帝)」を称する。
イヴァン四世はロシアの領土をを東方(中央アジアやシベリアに)拡大した
17世紀:ミハイルロマノフがツァーリとなりロ300年以上続くロマノフ朝が生まれる
ロシア帝国の繁栄
1721年:ピョートル1世(大帝)が皇帝を称し、ロシア帝国を宣言する
ピョートル一世はロシアの西洋化政策を推し進め、サンクトペテルブルクに新首都を建設する
ロシア帝国は領土をさらに拡大し、ヨーロッパ列強の一角を占める
18世紀後半:女帝エカチェリーナ2世の治世下で、最盛期を迎える
バルカン半島を巡ってオスマン帝国と戦争を始めるがフランスなどの列強がオスマン帝国に味方し敗戦する(クリミア戦争)
革命と崩壊
1894年、ニコライ二世が皇帝に即位する
この時点のロシアは農業国で産業革命を終えていた西欧列強に遅れを取っていた
19世紀後半:重い税金や長時間労働に苦しんでいた農民や労働者の不満が高まり、革命運動が活発化する
1905年:日露戦争の敗北、「血の日曜日事件」により第一次ロシア革命が起こる
1917年:二月革命でニコライ2世が退位、ロシア臨時政府が創設される
十月革命でレーニン率いるボリシェヴィキ政権が樹立され、ロシア帝国は崩壊する
ロシア帝国の経済
19世紀半ばまで、ロシア経済は圧倒的に農業に依存していました。広大な黒土平原(ウクライナなど)で生産される小麦は、欧州諸国への重要な輸出品目でした。しかし、耕作技術の遅れや農奴制の存在は、農業生産性の向上を阻害していました。1861年の農奴解放は、大きな転換点となりました。農民は土地所有権を獲得しましたが、政府からの補償は十分ではなく、多くが困窮状態に陥りました。この農民の困窮がその後のロシア革命にもつながります。19世紀後半以降、ロシアは工業化を積極的に推進しました。政府主導で重工業を中心に発展が進み、鉄道網の整備や鉱業・鉄鋼業の近代化が進みました。しかし、欧米諸国に比べて工業化は遅れ、国内市場の狭さや技術力の不足なども課題となりました。
ロシア帝国の代表的な皇帝
ピョートル1世
ピョートル1世はロシア帝国最初の皇帝でロシアの西洋化政策を積極的に推進し、政治、経済、文化、軍事など様々な分野で改革を断行しました。北方戦争でスウェーデンに勝利しバルト海を獲得、新首都サンクトペテルブルクを建設しました。ピョートル1世はピョートル大帝とも呼ばれておりプーチン大統領が尊敬数皇帝なんだそうです。
エカチェリーナ2世
エカチェリーナ2世は、1729年、北ドイツの貴族の家にゾフィー・アウグスタ・フレデリカとして生まれました。14歳でロシア皇太子ピョートル3世の妃候補としてロシアへ渡り、エカチェリーナと改名しました。夫ピョートル3世の即位後、その無能さと専制政治に失望したエカチェリーナは、近衛兵や貴族たちの支持を得てクーデターを起こし、1762年に皇帝に即位しました。エカチェリーナ2世は、啓蒙思想に影響を受け、法治国家の建設や教育制度の改革、農奴解放政策など、様々な改革を行いました。また、積極的に芸術や文化を振興し、サンクトペテルブルクをヨーロッパ文化の中心地として発展させました。
ニコライ二世
ニコライ二世は、ロシア帝国最後の皇帝であり、ロマノフ朝14代目の皇帝でもあります。1868年に生まれ、1894年から1917年まで帝位に就きました。ニコライ二世は日露戦争、第一次世界大戦に敗北したり経済の失策を繰り返したことから無能な君主として知られ最終的にはロシア革命によって処刑されてしまいました。
まとめ
ロシア帝国はその巨大さや個性的な皇帝が多いことからとても面白い国でした。この国がソビエト連邦になったのもまた面白いです。このブログでは世界の国や都市を中学生が紹介するのでぜひ他の記事も見てみてください!
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